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■風とともに去りぬ

P504iS01538.jpg■祖母が亡くなったのは、火曜日の朝。日本に上陸した台風6号が温帯低気圧に変わるのと、ほぼ同時だった。


P504iS01543.jpg■火曜の朝、母からの電話で祖母の死を知らされた。一度会社に行き、引き継ぐべきことを済ませてから、車で伊豆へ向かった。車で実家に行くのは初めてで、祖母を天国へ送るというまだ実感できないことと、これから車で走るという現実的なこととの間で、不思議な、なんだかふわふわした浮揚感を覚えた。


P504iS01546.jpg■伊豆に着き、すぐに祖母が眠る家へ向かう。祖母は、ビックリしてしまうくらいに小さく見えた。あごが出て、目には絆創膏のように綿が当てられていた。いとこととりとめのない話をしながら、線香をあげた。


■通夜は、23日。夜になるまで、なんだか落ち着かなくて、久しぶりに帰ってきた故郷を車で廻った。幼稚園、そろばん塾、小学生の頃に泳いだ海、釣りをした海、既に閉校してしまった中学校、父のかつての職場、亡くなった小学生時代の恩師の家、父方の祖母のお墓、大学・院時代につとめていた学習塾…。変わってしまったところもあれば、全く変わっていないところもある。台風一過の空の下、それら全てが、記憶よりもずっと小さくみえた。薄いフィルムを一枚通してみている、そんな感じがした。


■葬式は、24日。煙になって、祖母は天国へと上って行った。祖母が、あんなに小さな壷の中に収まってしまう。祖父と、再び一緒になれる。


■葬式が終わるとすぐに伊豆を出た。いとこを乗せて、ちょっとスピードを出して。


■享年89。年齢的には、大往生だ。約4年半の入院生活の後、相当苦しい思いをしたという。白内障で片目が見えない状態になっており、それでも自分が逝く前に孫たちに着物を縫ってやろうと一生懸命に手を動かしていたそうだ。実際、兄二人には本当に立派な、青い着物が形見として残された。とても綺麗な色で、兄たちの体にぴたりとくる。自分の分に取りかかることは、とうとうできなかった。残念ではあるけれど、自分には半纏をもう幾枚も作ってもらった。大学受験時代の冬、いつもそれを着て寒さをしのいでいた。


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■そのころに我が家にやって来たペロも、人間で言えばもうすでにおばあちゃんだ。じゃれついてくる仕草はいまも変わらず愛らしいままだけど、体力は確実に落ちているし、白内障も始まっている。父方の祖父も、もう長くないと言われている。「30になる前に嫁さんを連れてこいよ。冗談じゃないよ」と言った両親には、苦笑しか返せなかった。


■祖母は、もう、いない。けど、祖母は、いつも、自分のそばに、どこかに、いる。

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■台風と祖母

■土曜日の夜、実家から電話がかかって来た。

■母方の祖母が、肩で息をするような状態になってしまった。もう時間の問題、とのことだった。電話をかけて来た母は、装っているにしても、冷静だった。受けた自分も、結構さめた感じで聞いていたつもりだったけれど、たぶん、頭の中は真っ白になっていたのだと思う。身内が自分の届かないところに行くという経験を、自分はまだしていない。怖い。

■日曜日、本当なら台風体制の要因として出勤する予定だったのだけど、事情が事情なので、変更してもらった。祖母の方も、今すぐというわけではなかったので、突然お休みをもらわなくてはならなくなった場合でも仕事がストップしてしまわないよう、最低限やっておかねばならないことを片付けるために出勤した。事情を知った上司は、仕事よりもずっと大切なことだからいつでも行きなさい、と言ってくれた。その時には、そうさせてもらおう。

■台風6号が日本に接近している。自分は、大げさに言えば、多くのひとたちを台風などの災害から守る仕事の一部分をやっている。母は、「お前の仕事はわかってるから」と言ってくれた。がきの頃、いくつも半纏を作ってくれた祖母も、同じ想いでいる。けれど、何かあればすぐに帰る。

■神様、本当にいるのなら、せめて、おばあちゃんが苦しまないですむように、痛みを感じないですむように、お願いします。

■六月の午後、ららぽで僕は4年前の春を思い出していた。

P504iS01036.jpg■土曜日、会社の後輩を誘ってお昼にラーメン屋さんに行った。以前先輩と行こうとして閉まっていたところ、という小さなお店で、検見川にある。ずっと行きたかった店で、今回が初挑戦。ちなみに読み方は「ホロ」ではなく「ポロ」とマルがつくみたい。ふーん。


P504iS01282.jpg■今日は塩を食べた。麺は西山製麺のもので、まぁ普通、でした。ってか、太麺が好きな自分としてはちょっと物足りなかったけれど、塩を頼んで太麺を期待するのが間違ってるのだろう。次回は味噌にチャレンジするつもりなので、一緒に行きましょうね!…と先輩にメールをしておいた。


P504iS01283.jpg■後輩と別れてから、ららぽーとへ。マッサージを受けて、夏物を物色して、コーヒーを飲んで、ピアノを探して、と、結構楽しんだ。ひとりで、ってところが、かなり寂しいところですが。夏物は、なんだかんだで2万円近く買ってしまった。襟の形が気に入ったシャツと、色が涼しげで感じの良かったシャツ&タンクトップ、それに黒のパンツ&ベルト。今年の夏は、シャツとタンクトップ、なんですかね。しかもタンクトップは3つくらい重ねてるのまであるし。逆に暑いっしょ。いや、それも楽しいからいいけどね。

■お買い物をしながら、4年前に友人とここに来たことを思い出していた。まだ入社直後で、会社のことや社会のことなどあまり知らなかった頃。その時に行ったコムサにんにく屋五右衛門、ちょうどその時オープンしたユニクロ…4年経った今も、そこにある。学生気分が抜けきっておらず、いい意味でも悪い意味でも、自分たちはとても若かった。あるいは、幼かった。甘酸っぱい話もしたなぁ…あの頃が、今となってはとてもいとおしい。

■日曜日、甘いものが食べたくて、ル・パティシエ・ヨコヤマに行った。何人かの人たちからおいしいよ、と以前から聞いていたお店。岩シューという、本当においしいと評判のシュークリームが目当てだったのだけど、お店に到着した11時には、既に完売。ザンネーン! でも、メロンボード、モンブラン、半熟チーズケーキ、牧場のプリンを買って、速攻で家に帰って食べた。甘いものは、ヒトを幸せにしますね。プリンが濃厚で本当においしかったー。今度は、平日に休みをもらってでも岩シューをゲットしましょう。

P504iS01284.jpg■その後で、京成大久保のパンケへ。味噌ラーメンが美味。味噌とバターを最初に合わせた人、ホントすごいです。


■…それにしても、食べてばかりだな。こんなささやかなことでも喜んでいられる。まだまだ、大丈夫みたい。

■どこか近くへ…

■土曜日、秋葉原に出かけた。特に目的はなかったのだけど。強いて言えば、ビーフペッパーライスを食べに行った、とか、楽器屋さんをのぞいた、とか。今思えば、学生時代の思い出の地、上野まで足を伸ばして、上野公園を散歩するのも良かったな。ってか、ビーフ~を食べるなら、最近家の近くのカルフールの中にもできたみたいだから、そっちでも良かったか。

■楽器屋さんをのぞいていたら、ピアノが欲しくなった。もちろんグランドピアノとか、そういういいやつではなくて、電子もののお手軽なやつ。いや、手が届くなら、置くスペースが家にあるなら、本格的なやつが欲しいけど、そりゃ。CASIOとかYAMAHAとかKORGとか、いろいろとあって、型落ちと思われるやつならば5万円くらいで買えるものもあり、ココロが結構ぐらぐらした。そんななか、一番欲しかったのはROLANDのやつ。なんか、ROLANDっていう名前の響きが好き。結局買わなかったけど、ちょっと、本気で買うモードになった。ハープシコードとチャーチオルガンの音が好き。昔、ハープシコードの音が好きで、それに合いそうな曲を作ったことがある。もう、曲を作るなんてコトはしなくなってしまったな。時間がないし、何よりもココロの余裕がないみたい。

■楽器屋さんをのぞいていた後、からっと晴れたせっかくの空の下を歩かないのがもったいないような気がして、秋葉原から浅草橋まで歩いた。総武線の線路に沿って東へ。知らない街をホテホテと歩くのは、どんなところであっても楽しい。お祭りがあるのだろうか、祭り囃子の音が聞こえて来たり、それっぽい格好をした人たちを見たりした。初めての浅草橋、ほんの入り口くらいしかまだ歩いていないけれど、もっともっと歩いてみたいと思った。

P504iS01029.jpg■知らない街を歩いてみたい…いいこと言うじゃん、永六輔

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